「物乞い」について最近考えていること

前回のブログ

今日は最近よく考えていることを書きます

ジョージアの物乞いの現状

教会の前や観光スポットに必ず物乞いの人がいる

一斉に視線が注がれて何か分からない言葉をかけられる

ジョージア・バトゥミの教会

 

待っている人ばかりではない

自分で歩いてお金を集めている人もいる

 

それは海のベンチに座っている時

それは車が信号で止まっている時

そしてショッピングモールで買い物をしている時など

本当に様々

 

この国は今、完全封鎖をしている

なので外国人がとても目立つ

(元々アジア人は珍しくて注目を浴びやすいみたいだけど)

 

お金を渡すかどうか

コロナの状況になるまで、物乞いの方にお金を渡すかどうかをいつも悩んでいた

子供が利用されていたり、それをビジネスにしている人がいると聞いたから

大人より子供の方がお金を集められるから親が学校に行かせなくなると聞いた時は義務教育という決まりの中で生きてきた私の脳みそが大きく揺れた

私が渡すとこの子が学校に行けなくなる

だけど渡さなければ家族みんな食べられないのでは?

学校に行けないより空腹じゃない方がいいよね?

でも、文字が読めないと一生働けない・・・?

などグルグる考えていた

 

でも、このコロナになってから

出来る限り渡すようにしている

 

もちろん今も戸惑いや迷いはある

だけど渡す

たくさんは渡せないけれど少しでも渡すようにしている

 

このおばあさんが暑さと排気ガスの多い路上に一日中座っていることに間違いはないし

この子供が見ず知らずの外国人に「お金をください」と訴えていることに間違いはない

 

「そんなことしても何も変わらない!」とか

「これから海外旅行をする日本人が狙われる!」

悪影響だ!偽善者だ!という意見があるのも知っている

 

迷惑をかける方がいるならごめんなさい

 

だけど今はコロナの影響で失業した人も大勢いて

目の前のもどかしい悲しい姿のもっともっと後ろの背景を、いちいち考える余裕が無くなってしまいました

迷惑をかけているかもしれない方々、ごめんなさい

 

根本から変えようとする人たち

そんな中

今までも今もこれからも

この問題を根本的に変えようとして行動している人たちがいる

捨て犬や保護犬もそう

ジョージアではまだ出会っていないけれどインドではお話を聞くことも出来た

本当に頭が下がる

ありがとうございます

いずれ必ず恩返ししたい

 

日本にもそういう方たちがいっぱいいる

私は日本のそういうところが大好き

こども食堂とか本当に素晴らしい

 

新宿駅から歩いてすぐのあの公園で

長い列をさばいていくおばさんの眩しさに

オール明けで二日酔いの私は恥ずかしくて目を逸らしたあの朝を思い出す

 

失業率

少しずつ通常に戻ろうとしているジョージアだけど

コロナの影響でジョージアでも失業率は上がっている

 

日本もそうだし

世界中

本当に大変なことになった

 

物乞いで思い出すジョージアの子供

自粛明けで営業再開したマクドナルドに並んでいた時のこと

一人の子供がお金を集めていた

私も少しお金を入れた

彼は照れくさそうにマドロバ(ジョージア語でありがとう)と言って

今度は私の後ろの人に声をかけた

 

すると私の後ろに並んでいたお兄さん二人組が彼にスマホを見せて好きなメニューを選ばせ始めた

お兄さんはお会計を別々にして

彼にも順番待ちの番号の付いているレシートを渡した

あとは自分で受け取りなよみたいなことを言っていた

お兄さんたちの分が先に出来て

お兄さんたちは先に食べ始めた

 

お兄さんたちから少し遅れて彼が呼ばれた

彼はお兄さんたちのそばに座って食べ始めた

彼のセットはお兄さんたちより立派でジュースもポテトも一番大きいサイズだった

 

お兄さんが選んだのか彼が選んだのか分からないけれど、彼は本当に嬉しそうに食べていた

そしてお腹いっぱいになった彼は野良犬を呼び

残した分のポテトを犬にあげていた

 

いつのまにかお兄さんたちはいなくなっていた

そして彼はまた元気にお金を集め始めた

 

彼はマクドナルドで誰よりも大きなセットを食べていたけれど

一人ぼっちなのは彼だけだった

だけどその時は確かに嬉しそうだった

 

たくましくて健気でせつなかった

 

私はお兄さんたちとこの子のことをこれからも思い出すだろうなと思った

そしてやっぱり思い出した

ジョージアは野良犬を街犬として可愛がっている

物乞いで思い出すインドの子供

風船を売る男の子|デリー

インドで風船を売る子供がいた

裸足でボロボロの服だった

 

風船はいらなかったけれど

風船を買った

か細い声でサンキューと言って風船をくれたけれど

全然嬉しそうじゃなかった

 

俯きながらずっとお金を見ている彼が気になって

しばらく遠くから見ていた

 

するとお父さんのような人が来て何かを言われていた

そしてお金を渡していた

 

そのことが気になって

インド人の人に聞いたらお父さんではなくボスなのだと言う

 

そりゃそうだよな

 

風船を

あんなにキラキラした風船を

彼が準備できるはずがない

 

彼は雇われている

 

きちんと報酬をもらえるのだろうか

きっと貰えないのだろう

 

私にボールペンをさした女の子|デリー

また違う日

私はデリーでオートリキシャ(タクシーのように利用できるが窓がない)に乗って移動していた

インドのオートリキシャ

交差点や渋滞で車の動きが止まるとどこからともなく物乞いの人がやってきて車にノックしたり、オートリキシャの客に何かを売ったりし始める

 

もちろん外国人の私には一目散に人が来る

その日、まだ4歳くらいの女の子が私のオートリキシャに近寄ってきた

右手に持てる限りのボールペンを持っていた

 

ペンなら使えるし買ってあげたいと思ったのに持っていた現金はオートリキシャの乗車賃のみだった

タイミングが悪く、現金を下ろそうと思っていた時だっだ

 

どうしよう

 

ごめんね

無いんだと彼女に伝えた

 

その時、ちょうど交差点の先頭の方で車が動き出した

リキシャの運転手さんも私が買う気がないことを察してリキシャを走らせようとした

私は申し訳なさと気まずさで下を向いて

日に焼けた女の子の足の甲を見ていた

前方の車が動き出しているのに

路肩に移動しようとしない女の子の足はまだ子供の足だった

タイヤに引かれないか怖くなった

 

その時

女の子が私の太ももにボールペンをさした

それはジーパンを通り越して太ももまで届いた

 

イタっ

 

一瞬、目が合った

次の瞬間

女の子は猛ダッシュで姿を消した

 

唖然とした

お財布まで出して結局渡さなかった私に腹を立てたのだろうか

歩くことすらしないくせにボールペンを買うことを躊躇した私に腹が立ったのだろうか

お腹がすいてむしゃくしゃしたのだろうか

その全てだろうか

 

一日中そのことを考えたまま宿に戻り

ジーパンを脱いだ

 

女の子にボールペンを刺された部分には何の傷もなかった

 

だけど

猛烈に悲しくて痛くてたまらなかった

 

私を見つけて嬉しそうに近付いてきたあの笑顔と

私をさした後逃げていったあの険しい横顔を

繰り返し繰り返し思い出していた

 

お金が無かったから渡せなかった

渡していたらきっとあの子は怒らなかった

 

もしかしたら追いかけられて怖い目に遭うかもしれないのにあの子は私をさした

いつか誰かに怒られて暴力をふられたりしないだろうか

 

私は一体どうすれば良かったのだろうか

 

結局迷いは無くならない。だけど。

私は外国にいれば外国人だ

私は

外国に来れた人

パスポートを持っている人

飛行機に乗れた人

外国に暮らせる人

 

誰がどう見てもそうだし

それは正しい

 

治安の悪い国では今、スリや強盗がさらに増えていると聞く

帰れずに困っているところにさらに追い討ちをかけられて困っている旅行者もいると思う

 

でもここはそうじゃない

みんな苦しいけれど私に笑顔を向けてくれる

 

お金を渡すことに良し悪しがあることは事実だけれど

この目の前にいる子供に罪がないこともまた事実だ

 

祖父のこと

すぐに迷宮入りする厄介な頭で私は祖父の言葉を思い出す

戦後、お腹ペッコペコだった時、外国さんにもらったチョコが美味しくて美味しくてびっくりした、妹に取っておいてあげたかたのにほとんど食べちまってもう一回貰いに言ったと言っていた

 

チョコレートを頬張る少年だった頃の祖父を思うと私のこのどうしたらいいのか分からない迷いに答えが出るような気がする

もう一度チョコを貰いに行って貰えたのかも聞いておけば良かった

 

祖父に会いたくなる

とても貧しかった子供時代を経て大工さんになり母や叔父を立派に育てた祖父

痩せて小さくなった肩から伸びる細い腕に似つかわしくない握力で握手をする祖父

会いたい

会って握手がしたい

 

これから

きっとこの問題は私の年齢や環境で思うことが変わっていくのだと思う

いつか何か出来たらと思うけれど今は何も分からない

 

今、日本も世界も劇的に変化している

 

果たして来年どうなっているだろう

この街も

私も

 

そして、あの子も

綺麗でふわふわのお花